■【長崎市長選】「父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」 …落選した横尾誠氏の妻、崩れ落ち号泣(痛いニュース(ノ∀`)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/961976.html

■長崎市長選:事件に配慮、万歳控え 田上氏(毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070423k0000m040113000c.html


選挙期間中に暴力団の銃弾に倒れた伊藤一長元市長。私もこのニュースを知ったとき、驚きと怒りを覚えました。現在のこの日本で地方行政の首長あたる人物が暗殺されるなんて事が起きる事自体驚きですし、その理由が政治的な事ではなく個人的な利益の為に行われたという事が、余計に許せなく思いました。


けれども、選挙と今回の事件とは別の話。急遽、伊藤氏の娘婿である、横尾誠氏が立候補しましたが、それを見て厳しいんじゃないかなと私は思ってました。


まず第一に、時期が短すぎるということ。横尾氏は地元の人間ではないし、元市長のやり方や市の状況をどれほど理解しているのか解らない。後を引き継げるほどの能力があるのか判断しづらい。それを判断する時間があまりに無さ過ぎた。


第二に、元首長の血縁者だからといって、それを理由に投票するのは民主主義の意図するところに反するおそれがある、という感じがするということ。

血縁者という点を強調するのであれば、まだ娘自身が立候補したほうが良かったのではなかろうか。また秘書や市長信頼の厚かった人物などの、市長と行政を共にやりくりしていた人物を候補に上げた方が良かったのではなかったのかということ。


第三に、感情的に市長を選ぶのを市民が避けるのではないかという事。事件に対する憤りだけで、投票する事は良くないと考える市民は多いのではないかと。勢いや、感情論で決める事に危険を覚えたるのではないかということ。


第四に、時期早々で怒りや憤りより先に、驚きのほうが勝っていたのではなかろうか。事件が浸透して、事件に対する議論や市民の考えがまとまった時点で立候補すれば、まだ勝算はあるのだけれど、選挙期間中という短い期間で、事件を武器に選挙戦を戦うにはあまりに早計だったのではないのか。

また、事件自体が政治的背景とはほとんど関わりのない事なので、それほど重要視されないのではないか。これが右翼や、元市長の政治的活動自体をよく思っていないなら解るが、ただ市長の位置にいた事自体が暗殺の動機になっているので、伊藤元市長でなくても、市長の地位に座っていた人間であれば殺されていた可能性が高い。


そして最後に立候補の記者会見の時のあのニヤニヤぶりが反感を買ってしまった部分が大きいのではないかということ。

私もニュース等であの会見を見たが、正直、気持ち悪かった。どうしてニヤニヤしていたのか解らないけど、少なくとも義理の父親が殺されて怒りを覚えているようには見えなかった。

コメントをしている時も、なんか淡々としていて、見ている人間に訴えかけるうような迫力も、説得力も、面白いくらいに無かった。怒ったり、涙を浮かべながらという方が説得力があった。本人もまだ状況をよく理解していかなったのではないのか?あれを見て、この人に入れようと思う人はいないのではないだろうか。

確かに、元市長の支持層の多くは、この娘婿に入れるだろうからある一定の票は集まるだろうけど、はたして当選できるほどの票が取れるかどうか…。立候補に関する各対応があまりにマズすぎる。それほど強烈に元市長を推す理由のない人や、誰に投票するか決めかねている浮遊票は、おそらく他の候補に流れるだろう。


結果はこのとおりである。市の職員であり、横尾氏と同じく事件後に立候補した田上氏が当選した。

同じ事件を背景にして立候補した2人だが、長崎市民であり、市の職員であり、市長の下で働いていた人間であり、地元を良く知ってる田上氏に対し、他県民であり急遽理候補した横尾氏。どちらが説得力があるか、市民の信頼を得られるか、言うまでもない。また今回は肉親だからという部分が反作用してしまったのではなんだろうか。


しかし、今回は駄目でも次回に望みを繋げばいいのではと思っていた所に、伊藤元市長の長女であり横尾氏の妻である優子さんのこの失言である。


「父伊藤一長はこの程度の存在でしたか。父は浮かばれないと思います。残念です。父の愛する長崎でこんな仕打ちを受けるとは思いませんでした」


とはあまりに酷い言いようではないか。これこそ民主主義や市民を馬鹿にした発言と言えるのではないのか。

逆に市民こそ言いたいのではないのか?「あの尊敬していた伊藤市長の娘に、こんな言いようをされるとは思いませんでした」と。

あなたのその発言に父親は泣いているのではないのだろうか。よく解らない候補に伊藤元市長の人柄を信じて、よく解らない人物に投票した人々に感謝するどころか、それを蔑ろにし、この発言はあんまりではないのか。

確かに父親をこういう形で無くした上で、選挙にも負けたのだから、感情的になって、思わずこういう発言が出てしまった心境は解る。解るけれど、やっぱりこういう事は言っちゃ駄目だよ。立派にやってきた父親の顔に泥を塗ったようなものだよ。またこの程度の認識しかない人の押す候補はやっぱり信用できなかったと思うのが人の心ってものでしょう。

「今回は負けてしまいましたけれど、応援して投票して頂いた方々には感謝致します」程度の事が言えなかったのか。

また市長の遺志を次ぐのは別に肉親や親族である必要はない。同じ事件を背景に立った人間が当選した、とりあえずはそれで良しとすべきではないのだろうか。それが市民の出した答えであるし、潔く負けを認め、市を良くしていくために、別の方向から活動していけばいいのではなかろうか。本当に父の事を思うのであれば。

私は感情的にならず冷静に市長を選んだ長崎市民を評価したいと思うし、娘のこの発言には酷く違和感を覚えずにはいられない。

特にこの日本においては「負けるときは潔く」というのが評価される風潮がある。今後の戦略という意味でも、負け惜しみ的に、市民に対して怒りをぶつけるのはひじょうにマズイやり方だったと言えるだろう。
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